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インドネシアのジャワ島に位置する世界遺産のボロブドゥール遺跡群とプランバナン寺院遺跡群が持つ面白さについて、インドネシアおよび当時の世界の、宗教と時代背景から推測し、お伝えします。

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世界遺産であるボロブドゥール遺跡群とプランバナン寺院遺跡群のそれぞれの遺跡については、多くの方が、それぞれ個別にその見どころや特徴を書いています。

それぞれの遺跡に行ってみた結果、個人的にはボロブドゥール遺跡が興味深く、またいつか再訪したいなと思いますが、プランバナン遺跡群も広大な敷地にカンボジアのアンコールワット調の寺院が点在しており、なかなか楽しめました。

しかし、今回ご紹介するのはそのような個々の遺跡の興味深さではなく、これらの遺跡が持つ関係性や背景にある宗教、現在のインドネシアの宗教と、当時のそれらの宗教の勢力関係なども踏まえつつ、これらの遺跡が持つミステリー的な見どころをご紹介できればと思います。
*今回ご紹介する世界遺跡は、○▽遺跡群と、「群」がついているように、1つの遺跡ではなく、その地域に存在する複数の遺跡をまとめて、○▽遺跡群と呼んでいます。
写真などで有名なものは、その複数の遺跡の中でももっとも有名なものになります。
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1.インドネシアにおける仏教とヒンズー教

インドネシアは2013年の統計で、約2.5億人の人口を有する世界で第4位の人口を持つ国家です。さらに、その88.1%にあたる、2.2億人がイスラム教徒である世界最大のイスラム国家(!!)です(ちなみに、イスラム教の聖地メッカがあるサウジアラビアは、イスラム教徒は、2,900万人とインドネシアのイスラム教徒数の約10分の1です。)

そんなインドネシアにある、このボロブドゥール遺跡とプランバナン遺跡は、イスラム教のモスクでは当然なく、ボロブドゥール遺跡群は仏教、プランバナン寺院遺跡群はヒンズー教の寺院なのです。

イスラム教国家の中の、仏教とヒンズー教の世界遺跡。

ここが1つのポイントです。
さて、ここでそれぞれの宗教が生まれた時代を確認すると、

ヒンズー教:諸説あるが、最も古いもので、紀元前2300年前
仏教:紀元前450年頃
イスラム教:西暦610年頃

となっており、それぞれの遺跡が作られた年代は
ボロブドゥール遺跡群:西暦800年~900年
プランバナン遺跡群:西暦900年~1000年

となっています。
では、まずボロブドゥール遺跡群とプランバナン寺院遺跡群の関係について見ていきます。
この2つの遺跡は、中間のジョグジャカルタを挟んで約30kmくらいしか離れていない位置関係にあります。

それなのに、遺跡が作られた時代が、ボロブドゥール遺跡(仏教)は850年ごろ、プランバナン寺院遺跡群(ヒンズー)は950年ごろということは、かならずこれら2つの宗教はお互いのことを認知していたはずで、宗教の対立などはなかったのかと想像してしまうところですが、その通り、彼らは敵対する関係ではなかったようです。

Wikipediaによる記述をまとめると、以下のようになります。
「この地域には2つの王家が存在した。シャイレーンドラ王家(仏教)とサンジャヤ王家(ヒンズー教)である。
サンジャヤ王家はシャイレーンドラ王家に対して従属する関係にあったが、両家間で婚姻関係もあるなど、必ずしも敵対する関係ではなかった。

サンジャヤ王家はシャイレーンドラ王家への従属を示すため、仏教建造物への寄進を行っていた。

このような背景の中、シャイレーンドラ王家からある日、サンジャヤ王家に、多羅菩薩をまつるための寺院とシャイレンドラ王家を祀る仏僧のための僧院を建造するよう提案した。これを受けて、ボロブドゥール寺院遺跡はサンジャヤ王家により、780年ごろより建設が開始され、790年に一旦、その建設は完成した。また、第二次工事が824年から833年まで行われた。
一方、ボロブドゥール寺院遺跡の建設が完了する頃の822年に、シャイレーンドラ王家の王が無くなり、新しい王が即位したが非常に若かったため、サンジャヤ王家からシャイレーンドラ王家に嫁いだプラモーダヴァルダニーが、政治的な支配権を握った。
このプラモーダヴァルダニーとその夫のラカイ・ピカタンがシャイレーンドラ王家の実権を握り、この後、プランバナン寺院の建設が、シャイレーンドラ王家側で開始され、この地域はヒンズー教が一帯を支配することとなった。」
最初はヒンズー教も、仏教も仲良くしていましたが、政略結婚の後、お嫁さんの策略でヒンズー教が優勢になったということでしょうか。そこまでWikipediaでは書いていませんが、そのようにも取れるような気がします。
また、ボロブドゥール寺院遺跡はこの後、何者かによって埋められ、1800年代まで表に出ることはなかったのですが、この原因にはイスラム教による破壊を恐れて埋められたという説と火山の降灰によるものであるとする説の2つがあるようです。
しかし、上記の流れで来るのであれば、一帯にヒンズー教が広まったため、仏教遺跡であるボロブドゥール遺跡はヒンズー教徒側に埋められたと勘ぐってしまうのですがいかがでしょうか。

逆にイスラム教徒からの破壊を恐れてというのであれば、なぜプランバナン遺跡は埋められなかったのかということになります。

火山灰説なら、プランバナン寺院も同様に埋まったけれども、後から掘り起こしたと考えることもできます。

2.インドネシアへのイスラム教の伝来

インドネシアにイスラム教が13世紀に伝わってからは、徐々にその勢力を拡大し、ジョグジャカルタ周辺も同様に、イスラム教に飲み込まれてしまいました。

その結果、もともとのヒンズー教徒はバリ島にのがれたため、バリ島はいまでもヒンズー教徒が多い地域となっており、またこの時にジャワ島の文化の多くがバリ島に流れ込んだと考えられており、バリ島の現在の文化の一部は、当時のジャワ文化の影響を受けていると考えられています。

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